【FGO】【史実】二刀流:宮本武蔵 逸話紹介    

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【FGO】【史実】二刀流:宮本武蔵 逸話紹介

FGOで初登場した宮本武蔵ちゃんです。
凛としていながらおおらかな性格。
なかなかのキャラ設定ですね。
ですが本物の宮本武蔵は男です。
今回は歴史に大剣豪として名を刻んだ男、宮本武蔵を紹介します。

真名:新免武蔵守藤原玄信(宮本武蔵)

身長:167cm / 体重:56kg

出典:史実

地域:日本

属性:混沌・善

性別:女性

クラス:セイバー

武蔵の資料はほとんどが後付けされたものであり具体的な記述は少ないです。
具体的な記述があるのは、武蔵自身が書いた五輪書と武蔵の養子である宮本伊織が書いた書物くらいしかありません。
要するにないです。

1.謎の多い生まれ

武蔵は1584年、現在の兵庫県揖保郡太子町(いぼぐんたいしちょう)に生まれました。
武蔵の出生については、曖昧な記述が多く信憑性に欠けるものばかりです。

お父さんは武蔵が小さいころに名も上げることなく戦争で亡くなってしまったとされています。
武蔵はその影響もあり小さいときから剣に触り剣とともに生きていきます。

2.大剣豪までの道のり「決闘大好きマン」

大剣豪と聞けばワ〇ピースのゾ〇の夢ですが武蔵はそれになっちゃいます。

大剣豪といわれるだけあって剣の天才で決闘に関しては無敵でした。
武蔵の初めての決闘は数え歳13歳(14歳)で勝利しています。
それ以降13~29歳(諸説あり)までの間に命を懸けた決闘を60回以上行いすべてに勝利しています。

この偉業から大剣豪と言われ始めました。

武蔵「誰も我に勝てないから命くらい賭けてもいい」

ここまでくるともはや修羅ですね。
常識人であればこんなにも簡単に命を懸けることができないです。
そのころから二刀流、二刀使いという言葉が誕生しました。

この言葉は武蔵のためにあるといってもいいですね。

武蔵「二刀流とか我のためにある言葉だし、てか我こそが二刀流である!!(ドヤツ)」

決闘自体は29歳でやめてしまっていますがその後も戦争には参加していました。
主に大きな戦争としては大阪夏の陣と島原天草一揆です。

これに幕府側として参加していたということは徳川家康さんや敵であった天草四郎さんとも会っていたかもしれませんね。

武蔵「なんでこんなことしたん?馬鹿なの?死ぬの?」
天草「別にやりたかったわけじゃないし!俺が先導したわけじゃないし!」
武蔵「ドンマイw次の人生に期待しろw」
天草「そうするわ」

こんな会話があったかもしれないですね。
と、このように人生を戦いに奉げていたそうです。この時までは。

3.武蔵の老後

戦争後、世の情勢が安定した1639年、大阪や京都、江戸などに行っていました。
その時、島原天草一揆の報告を将軍に行い戦功の認証を受けるという大役を担っていました。
要するにゴマをすっていたわけです。

武蔵「天草一揆、鎮圧完了した!報酬ほしい♡」
家康「そうか。ようやった!褒美をやる!我でよろしいか?//」
武蔵「え」

などと言う会話があったかは保証しませんがこの時代の人は両刀使いだったという話もあります。
(二刀流の武蔵だけに)
※両刀使いとは男女どちらもイケる人たちのネットスラングです。

その後は大剣豪時代とは打って変わって優雅な生活をしてきます。
1640年夏、肥後熊本に訪れ旧友である長岡興長(熊本城主・細川忠利の首席家老)に会っていました。

そのまま熊本にひっそりと滞在する予定でしたが細川家がそれを許さず細川家の公客として手厚くもてなされていました。

年間米300石 (現在に換算すると2千2百万円)ももらってきたそうです。
細川家と直接縁がなかった武蔵からしたら破格の値段ですね。
簡単に言ってしまえば隣の家の住人から無償で2千2百万円もらうということです。

武蔵「これから熊本に滞在しようと思もっとりやす」
細川家「滞在するならお金出すよ?」
武蔵「どのくらいだい?」
細川家「二千二百万くらい(ボソッ)」
武蔵「マジか!!(ガタ ) ならばありがたくいただこう!!」

この待遇は武蔵が亡くなるまで続きます。
すごいですな。細川さんいい人過ぎる。

4.武蔵の死と武蔵の自伝「五輪書」

知っている方が多いと思われる武蔵の「五輪書」の執筆が1643年冬から始まります。
自分のことをたくさんの人に知ってもらいたかったんです。
「五輪書」は武蔵が人生で培った経験や極意を直筆でまとめ上げた究極の兵法書です。
簡単に言うと自分のやってきたことを自慢したいがための自己満足小説です。

武蔵「我のこと知らんとかありえないんですけど」
序文、地の巻、水の巻、火の巻、風の巻、空の巻

で構成されています。

内容を簡単に説明すると
序文には自己紹介
地の巻:学ぶための準備
水の巻:剣術
火の巻:戦い
風の巻:他流
空の巻:心の在り方

について書かれています。
武蔵の考えとして美しく戦い美しく負けるくらいなら卑怯でも勝てばよかろうなのだーというのが根本にあったそうです。
そこには賛成です。

執筆する際、熊本の西にある岩戸山に登り観音と諸仏に執筆祈願をしました。
この観音がFGOの武蔵の絆礼装と宝具演出に映ってる観音様です。

絵ですけどやはり貫禄があります。
イラストレイターさんの気合が伺えますね

こういうおまけ要素にもお金をかけてくれるから好きですね。このゲーム。
書き上げるまでに病に倒れたわけですがツンデレおじさんなので、診察を拒否し山にこもって執筆していました。

医者「武蔵さん。お体悪そうなので診察させていただいてもいいですか?」
武蔵「べ、別に診察とかいらないんだからね!元気なんだからね!」
医者「何言ってんだコイツ(そうですか…)」

さすがに心配した優しい細川さんは医師を山に派遣してようやく診察を受けました。

医者「今度こそ診察させていただきますよ」
武蔵「だ~か~ら~診察しなくていいって言ってるでしょ!!」
医者「細川さんがどうしても見て来いと」
武蔵「細っちが!?ん~なら仕方なしだな。診察するといい」
医者「ほんとに大丈夫かコイツ(そうですか…)」

信念を持ったおじさんはめんどくさいですね。
そんなことをしつつ五輪書は完成したわけですがそのすぐあと病によって他界してしまします。
1645年6月のことです。
これが武蔵の最後です。晩年は剣豪でなく作家のようでしたね。

武蔵「いや~、五輪書書くの疲れたわ。てか人生に疲れたわ。そろそろ寝るか!(パタっ)」

5.疑惑の巌流島の決戦

いろいろな説があり詳しい内容が分からない巌流島の決戦ですが、
武蔵の書いた五輪書には巌流島の決戦については一言も書かれていません。

もしその決戦が行われていたら剣の全盛期である26~29歳のころと推測できます。
そうなると佐々木小次郎さんは60歳後半になります。

武蔵「来たか。小次郎」
小次郎「来たぞ。武蔵」
武蔵「3、2、1、0でお互い振り向いて切り合う。これでいいか?」
小次郎「オケ」
武蔵「いざ尋常に!!3、2、そいっ」
小次郎「アイエー。武蔵、貴様卑怯だぞ!!0で切り合うのではないのか!?」
武蔵「そんなの知らん!!勝てばよかろうなのだー!!連勝記録の更新のためだ、許せ、小次郎」
小次郎「ええぇ……マジかぁ…じゃあしょうがないかな」

さすがにここまでとは言いませんが武蔵の決闘方法はこんなのばかりだったそうです。
汚い、さすが武蔵汚い!!
死ぬくらいなら勝って長生きしたいという信念があったようです。

6.まとめ

英雄:大剣豪として命を懸けた決闘は60戦以上無敗
死因:寿命(ガンという説)

大剣豪とは言っていますが勝つためには手段を選ばなかったようです。
生涯を通して変わらなかったのは信念を貫き通す覚悟ですかね。
これだけ聞くとかっこいいのですが「五輪書」執筆の際に見せたツンデレもあるという面白い人という印象があります。
ただし信念を貫き通す覚悟は現代人である私たちは参考にしてもいいのではないでしょうか。

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