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【FGO】【史実】クリミアの天使:ナイチンゲール 逸話紹介

真名:フローレンス・ナイチンゲール

身長:165cm / 体重:52kg

出典:史実

地域:欧州

属性:秩序・善 / 隠し属性:人

性別:女性

クラス:バーサーカー


サザビー?
いや何のことやら

彼女の評価やイメージといえば
「戦争で敵味方の区別なく看護した優しい看護婦」
といったところでしょうか

1.天使生誕

フローレンス・ナイチンゲールは1820年5月20日にイタリアはフィレンツェ(イギリス読みでフローレンス)のトスカナ地方で生を受けました。
名前の由来は生まれたところだったんですね。ちなみにお姉ちゃんもいます

生まれた家はジェントリという階級で、貴族界の中では下のほうですが、
庶民から見れば十分貴族の大富豪です。
まあ簡単に言えば「地主さん」です。

パパママ紹介
父のウィリアムはケンブリッジ大学を卒業し、政治活動とかをしてますね。
母のフランシスは社交界でも美しいと評判の女性だったそうな。

国民の上位3%しかいない上流階級に生まれた富豪のお嬢様として何不自由のない環境で成長します。
お母さんに似たんでしょうか?社交界でも結構人気だったそうですよ

出典:GAHAG
この写真はフランスのフィレンツェの街並みとサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂です。きれいですねw

2.運命の慈善訪問

そんなナイチンゲールに運命の時が訪れます。

慈善事業(ヴィクトリア朝時代の貴婦人には、貧しい人に食べ物やなどを与える習慣がありました)
で訪れたリーハースト(ナイチンゲール家の屋敷の近く)の村で一人の女性に出会います
その女性は亡くなってしまうのですが、ナイチンゲールはそこで初めて「病院」の存在を知ります

当時の貴族様は病気になっても自分では行きませんからね
現代で言う「往診」が普通でしたので、ナイチンゲールもそれが普通だと思っていたのでしょう。

しかもその当時の病院は超不衛生です。
どれくらい不衛生かといいますと、現代における

「公衆便所に布団を敷いて寝ている」

くらい汚かったんです。ええ、もう排泄物やらなんやらの悪臭で現代人では耐え難い衛生環境でした

さてここでナイチンゲールの狂化スキルがチラッと見えます。

モブ貴族A「本当に最悪ザマス。慈善事業とはいえこんなところに…」

モブ貴族B「これだから平民は嫌デスマスわね。あーやだやだ」

モブ貴族C「病院何それ儲かるの?え?儲かるけど汚い…?さてお花を摘みに行くでゴワス」

ナイチンゲール嬢「私の知っていた世界と違う。この惨状はどうにかできないものか…」

時に10代のナイチンゲールは自分の貴族世界と平民やそれ以下の世界を見たわけです。
別に貴族A.B.Cが悪いわけじゃないんです。
この時代において、貴族という時点で平民とは違うわけですから、この反応はノーマルです。
多少哀れんだりした方もいたでしょうが、ナイチンゲールが出てくるまで変わらなかったということは、
結局誰も何もしなかったということですから、そういうことです。

若き天使は貴族特有の驕った性格を表すことなく柔軟な感受性と狂化スキルの一端を表してくれましたね。

3.狂化スキル覚醒

17歳
ナイチンゲールはついに狂化スキルを発現させます。

ナイチンゲール「神様(キリスト)の声を聴いた」

完全に逝っちゃってますね。これは狂化スキルのせいですね。ハイ。

彼女は寝室で後光の射すキリストに

キリスト「このキリストさんに仕えるといいヨ!(To My Service)」

ナイチンゲール「え、なにこれ……こわ…。仕えるってなんだし???」

って言われちゃいます。
この時ナイチンゲールはこの言葉の意味を理解していませんが、24歳時にそれが何なのかを悟ります。
こんな感じでナイチンゲールは人生で計4回の啓示を受けます。

4.決意の天使

ナイチンゲール齢20歳にして「当時の貴族の常識」からすれば
「狂っている」
と取られてもおかしくないことを家族に言い出します。

ナイチンゲール「一般社会で活躍したい」
パパ・ママ「………エ?ナンダッテ?」

封建的といいますか、ヴィクトリア朝のイギリスでは貴族出身でも女性の社会的地位は低かったんです。
普通はこのままお上品に金持ちのボンボンと結婚して生きていくのがノーマルですからね

両親からしてみれば家出した娘の髪の毛が金色になっていて、
ピアスだらけの男の子供を妊娠していたくらいの衝撃でしょう。

もはや「事件」ですよね…。

でも結局はナイチンゲールの熱意に負けていろいろ許可してくれます。
話の分かる両親に聞こえますが、実のところほとんどあきらめに近いような形での承諾なのです。

結局ナイチンゲールは家族との間に心理的しこりを残してしまいます。

現代人の我々から見れば「看護婦くらい許してやれよwww」って感じですが、
当時の看護婦は下流階級の、それも落ちこぼれクラスの人間が就く仕事だと考えられていました
世間体最優先の貴族からすれば隠したくてたまらない存在だったでしょう。

5.天使就職

さて、そろそろ「ナイチンゲールらしい」お話に入っていきます。
彼女は30歳のある日に、日記へこう綴っています

「私は30歳、キリストがその力を振るいはじめた歳。
もう無駄な子供のようなことはしない、愛や結婚も無駄。神よ、ただ私の意思のままに…」

ハイそこ!痛い(>_<)とか言わない!!
自分の死後に日記を全世界に公開される乙女の気持ちにもなってあげて!
結婚も含めて女の子らしいことはほとんどしなかったんだから頭の中が乙女色でも許してあげて!

その一年後ドイツのカイゼルスベルト学園(看護の短期専門学校)で約3ヵ月間看護の勉強をします。
33歳のころロンドンにある慈善病院に就職して監督責任者を任されます

6.クリミア戦争

そんな中クリミア戦争が勃発します。
ロシアがなんだかんだ宗教的な因縁をつけてトルコを侵略した戦争です。
ロシアの艦隊にオスマン帝国(トルコ)の艦隊が瞬殺され、ロシアが地中海に進出しようとしていました。

それを許せないイギリスはフランスやサルデーニャ(イタリア)と組みトルコを含めた四国同盟を結成
2年間にわたるロシア220万人同盟軍100万人の凄惨極まる戦争が開戦してしまいました。

さて話を戻しまして、この戦争にはイギリス側から新聞記者が同行していたんです
戦場ジャーナリストの前身と言っていいのではないでしょうか。
その新聞記者がロンドンタイムズ紙で戦場の様子を記事にしてからナイチンゲールの運命が動きます。

その記事は英国陸軍の医療体制が終わっていることを国民に伝え、意識の改革に一役買ったのである
国民の感情も含めてこの事態を重く受け止めた戦時大臣シドニー・ハーバードは以前から交流があり、
すでに医療界では頭角を現しつつあったナイチンゲールに従軍を依頼し、本人はこれを即決で快諾します。
開戦から8ヵ月後のことであった…

ナイチンゲールは職業看護師14名とシスター24名を引き連れ従軍看護婦として戦地へ赴きました。
そこで彼女が見たのは地獄でした。

病院などとは名ばかりで、ただ苦しむ人間が溜まっているだけの状態だったといいます。
病室は極めて不衛生で、包帯も巻かれていない負傷兵がうめき声をあげているだけ…
医薬品どころか、食事も全くと言っていいほど行き渡っておらず死ぬのを待っているだけの状態。

病院での死亡率は戦地の約7倍というわけの分からない数値になっていました。

さらに残念なことに現地での上司にあたる軍医局の幹部たちは

無能上司A「伝統あるわが英国陸軍は戦場に女など送らぬゥ!」
無能上司B「戦場は男の世界ィ!ならば治療も男の仕事ォ!」
無能上司C「女は戦場にて役立たずゥ!何もせずそこで見ておれェ!」
ナイチンゲール「はあ…そうですか」(便所掃除はどこの管轄でもないですね。ここから切り崩しましょ)

そうして少しずつ病院の中へ切り込んでいきます。
さらにこの扱いを戦時大臣に報告します。この行いが彼女の行動範囲を大きく変えることになります。

戦時大臣への報告は女王様の耳に入ります。
女王様はナイチンゲールの報告を直接届けるように命じた書状を張り出して下さります。
女王様からの張り紙ですから、看護師・兵士たちは士気高揚、無能上司へは圧力となってくれます。

女王様の計らいや、ナイチンゲールらの自己犠牲をいとわぬ行動は尊敬の念へと変化していきました。

さて舞台は整った。
病院の全権を掌握するまで秒読みとなった彼女に転機の時が訪れます。

1854年11月5日「インカーマンの戦い」だ。
クリミア戦争の中でも有名な戦いの一つなのですが、日本ではあまり知られてないようです…
7万弱のロシア兵に対して、英連合は1万数千の兵力という圧倒的不利な戦いでした。

ほんの6,7時間で終わったとされるこの戦いでは2500人もの英国兵士が負傷し、2000人以上が死亡
ロシアも3000人以上の死者を出して撤退を余儀なくされた。

さてここからが本番です。
スクタリ病院(戦病院の名前)には凄まじい数の負傷兵が運び込まれます。
すでに疲れ切っていた軍医たちでは捌ききれません!

軍医達「まだ来るのかよ…」
兵士「ひでぇ戦いだった…まだまだもっと来るぞ」
軍医達「もう無理だ…」
軍医局「さすがにもうどうにもならん…ダメもとで女どもにやらせるか」
ナイチンゲール「準備はできています。消毒ですか?切断ですか?」


出典:wikipedia
この写真はクリミア戦争のセヴァストーポリ包囲戦の様子です。
どの時代の戦争も悲惨なことには変わらないです。

7.大天使降臨

こんな経緯もあり、ナイチンゲールはスクタリ病院看護師の責任者を任されることに。
慌てふためく無能な男たちはナイチンゲールらの確かな実力を見せつけられプライドを折られます。

それもそのはずで42%という驚異的な病院内死亡率を最終的に5%以下まで落としました。
もはやプライドがどうとかの問題ではないですねこれ……

彼女が通れば患者は笑顔になり
切断手術(麻酔なんかないですよ?)の際には患者の傍らに居続け
何十人という負傷者の包帯を膝をついて巻き続けました
その働きぶりからいつしか彼女はこう呼ばれる
「クリミアの天使」

常に患者が死なないように配慮をしたナイチンゲールは夜中にランプを片手に患者の容態を見て回った。
寝る間も惜しんで患者のことを見守るその優しさに兵士は彼女を
「ランプの貴婦人」

そんなナイチンゲールをもとにした言葉が現代でも使われている
彼女の功績によって現在の社会的地位を得た白き命の守り手を人は
「白衣の天使」と呼ぶのだ。

7.5:医療システムの母

彼女はずさんで悲惨な病院の実態を国に報告します。
専門的な知識を持っている人材・そもそも包帯や薬・それどころかまず食べ物
こういったものをそろえること自体当時では適当だったんですね。
何より兵器優先ですから…

ではナイチンゲールが国と協力して作り上げた現代の医療システムの先駆けとなった物を一部紹介
重傷を負った兵士の食事は別メニューにしたりしました。
食事療法が野戦病院で本格的に導入されました

現代におけるナースコールを実施しました。
ナースセンターが24時間営業のブラックになりましたw

賃金を中心に、看護師の社会的地位の向上に努めました。
これは亡くなるまでずっと行っていた活動ですね。

まだまだありますがクリミア戦争の約2年間でこれだけやったのですから凄まじいですね。

8.統計学者として

1856年3月30日、パリ条約が締結されクリミア戦争は終戦へと向かいました

ナイチンゲールは同年7月16日に最後の患者が退院したのを見送ると、ロンドンへの帰路へ着きました。
そんな中イギリスの国内ではすでに英雄扱いでした。
そんな扱いを厄介に感じたのか「スミス」という名の偽名を使っていつの間にか帰国しています。

お忘れかもしれませんが彼女はお嬢様ですので、ホテルの一室を事務所代わりにして死因の統計をまとめます。
いきなりホテルの一室とは…

ここでナイチンゲールのまとめた統計レポートがとんでもない答えを導き出します。

レポート「最大の死因は『不衛生』が原因やで」
ナイチンゲール「なん……だと……!!」

医療は統計だと気が付いていたナイチンゲールでも驚きました。
彼女の予想は戦闘による傷や、不十分な食事や処置による衰弱だと予想していました。
それを改善することによって劇的に死亡率を下げることに成功しましたが
「もっと救えたのではないか?」という気持ちがナイチンゲールの心をさらに動かします。

もともとナイチンゲールは物資が届かないことや、食事がクソすぎることを陸軍に進言しディスっていました。
そして病院の衛生環境の改善も行っていました。
しかし最大の原因となっているとはさすがに思っておらず、悔しい思いをしたことでしょう。


そこで彼女は統計資料を中心にクリミア戦争における陸軍の病院管理に関する報告書を
800ページに及ぶ資料としてまとめ上げ、次につなげられるように様々な提案をしました

具体例を出すと、
下水道などのインフラ、喚起や空調、調理設備、虫よけや照明器具の設置などが主でした。
現在では小学生でもわかる当たり前のことを彼女が当たり前にしてくれたんです

9.看護覚書と後継者の育成

医療の重要性と衛生管理の大切さを大衆に広めることもしました。
1860年に自ら執筆した「看護覚書(NOTES ON NURSING)」を出版し、 看護婦の教本や家庭の医学本として超ベストセラーを記録します。

さらに自らの名前を冠した募金「ナイチンゲール基金」に集まった巨額のお金を使って
ロンドンの聖トマス病院に看護学校を併設し、自ら講師として教鞭も取りました。
ここら辺から現代に近い看護学校の形態が出来上がりつつあったというから驚きです。

10.天使の最後

これだけの改革をした人間のストレスは計り知れないものであった。
極度のストレスにより40歳で拒食症になり。
発作によって10年間近く床に伏します。
それでもナイチンゲールは気の知れた主治医とともに仕事を行いました。

療養の甲斐あってか、主治医の腕がよかったのか50代になり体調も安定
看護学校を優秀な成績で卒業したものを邸宅に招き直接教えたこともあったようです

数年後には両親のもとへ帰ります。
介護が必要になったからです。
しかし数年で父を、約8年で母を亡くします。
そして70歳のころに姉を亡くします。

この辺からだんだん活動も穏やかになっていきます

81歳の時に目から光を失い、拒否していた家政婦なども雇いました。
それでも弟子たちからの人気が高いナイチンゲールの家はいつも賑やかだったといいます

1910年8月13日
ハイドパーク近くの自宅で静かに息を引き取りました。
享年90歳。

当時の新聞記事はこう綴っている。

「彼女の死は女王の死と並ぶほどの大きな損失でありその葬儀は国葬に十分値する」

現実には彼女の遺言で少人数による質素な葬儀に終わりました。

その葬儀の最中、遠方で祈りをささげる人影が多数あったという

出典:Wikipedia
この写真はナイチンゲールの一族が住んでいたEmbley Parkです。

11.まとめ

英雄:看護界の革命家であり、後に救われた人数を考えるとペニシリンのフレミングに匹敵する功績
死因:不明、報道されなかったということは老衰?

彼女が看護師として全線で働いたのは2年ほどと短く、その短い期間の中でたくさんの人の命を救いました。

一般的に広く知られている彼女の功績はクリミア戦争でのものですが、
最大の功績は、統計学に基づく正確な治療法と医療設備の充実などになるでしょう

ナイチンゲールがいなかったら失われていた命はすさまじい数に上ります。
それこそ家庭の医学本として売り上げた上記の本は潜在的に大きな影響があったかと思われます。


数多くの命を救った現代看護界の祖
当時では到底信じられない事を強行した彼女は多くの反感と顰蹙を買った。
その悩みの多くを日記に綴り、常に自問自答した革命の鬼
生涯自分を信じ、自分に語り掛けた続けたバーサーカーだったのだろう

ラーマ


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「Florence Nightingale Pledge(ナイチンゲール誓詞)」



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